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2008年11月26日 (水)

「まなざす私」と「存在者としての私」

Chiyoda-Mental-Conferenceでの、東京大学の柴山雅俊先生のお話の中で、解離について様々な用語が飛び出し、なかなか興味深いものでした。

解離の意識変容の特徴として……

眼差(まなざ)す私:この世から離れて、この世とそこにいる私を見る私
存在者としての私:この世から離れられない私

……の2つに別れることが挙げられると言います。

自らの体から離れて自分を見下ろす体験である「体外離脱体験」は、「眼差す私」の体験と解釈できると言います。

そして、感覚の要素なく人の存在を意識する「実体的意識性」は、眼差す私を欠いた「存在者としての私」の体験と解釈できるとのこと。

実体的意識性は「近位実体的意識性」と「遠位実体的意識性」に分類されます。
近位は、背後や横などであり「眼差す私」を意識している体験だとのこと。ですから、そこにいる人は自分なのだと言います。
そして遠位は、内と外に区切られた境界に人が出現するもの。窓や壁、隣室、二階、玄関など。

へぇ~。「眼差す私」と「存在者としての私」という考え方は、非常に興味深いものです。

そして、過敏症状についても話が出ていました。
気配過敏症状:人がいないところで人を怖がる
対人過敏症状:人がいるところで人を怖がる
と2つに分類できるとのこと。なるほど、納得。

いろいろと勉強になりました。臨床の場で意識しながら、自分の血や肉にしていきたいものですね(^-^)


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